2011年01月15日

諸外国の福祉

ここでは日本以外の諸外国の福祉の歴史について記述する。
国家試験に出そうなところのみ中心に記述する。

1601年
イギリスでエリザベス救貧法が完成した。1.有能貧民、2.無能力貧民、3.児童の3つに分類を行った。

1776年
A.スミスは国富論を著し、市場の自由経済を「見えざる手」を使って説明した。

1832年
E.チャドウィックは救貧法の弊害に対して、生存の危機に瀕した際に救済を受ける権利を擁護しようとした。

1834年
イギリスは新救貧法を成立させた。1.救済水準を全国均一とする、2.有能貧民の居宅保護を廃止し、ワークハウス収容に限定する、3.劣等処遇の原則による、とした。劣等処遇の原則は救済を受ける水準が最下層の自立した労働者の生活より劣るものでなければならないとする原則である。
新救貧法の思想的根拠は、マルサスの「人口の原理」(1798年)にあった。

1869年
ロンドンに設立された慈善組織協会(COS)は慈善団体の連絡、調整、協力の組織化と救済の適正化を目的とした。

1870年
イギリスで慈善組織化運動(COS運動)があった。コミュニティ・オーガニゼーションの発展に結び付いた。

1880年代
ドイツでは、世界で最初の社会保険制度が実施された。

1883年
ドイツで疾病保険ができる。

1884年
ロンドンでバーネット夫妻が始めたトインビー・ホールが最初のセツルメントとなった。
ドイツで災害保険ができる。

1886年
C.ブースは1886〜1903年にわたり、「ロンドン民衆の生活と労働」を著した。市民の30.7%が貧困線以下の生活を送っており、その原因は個人ではなく雇用や環境の問題であるとした。
アメリカのセツルメント運動で、ネイバーフッド・ギルドが行われた。

1889年
アメリカ、シカゴにハル・ハウスがアダムスによって始められた。
ドイツで養老および廃疾保険ができる。

1895年
救世軍はロンドンの牧師、W.ブースによって始められた。山室軍平が日本で入信した。

1899年
ラウントリーはヨーク市において貧困調査を行い、1901年に「貧困―都市生活の研究」を著した。
ラウントリーは所得の総収入が肉体的能率を維持するための最低限を示す水準を第一次貧困線(絶対的貧困線)といった。第二次貧困線として、収入が飲酒とか賭博などに消費されない限り第一次貧困線以上の生活を送ることができる水準を設定した。

1935年
アメリカにおいて、連邦社会保障法は、社会保障という言葉を世界で最初に用いた法律といわれる。ニューディール政策の一環として実施された。

1942年
ベバリッジ報告が発表された。イギリスの戦後社会保障制度を準備する設計図となった。1.リハビリテーションを含む包括的国営医療サービス、2.多子家族の所得補償、3.失業率を一定限度以下とする雇用政策や総合的社会保険の加入を義務付けている。
ベバリッジは窮乏、怠惰、疾病、無知、不潔を「五巨大悪」とした。

1968年
イギリスの社会福祉制度の抜本的改革を目指して、シーボーム報告が発表された。「堅実、かつ有効な家族サービス」の体系づくりと地方自治体の再編成がなされた。
シーボーム報告は、在宅福祉にかかわるソーシャルワーカーの役割が複雑すぎると批判を受けた。

1982年
バークレイ報告は、ソーシャルワーカーの役割と任務について検討し、政府に勧告を行ったものである。コミュニティ・ソーシャルワーカーの重要性が指摘された。

1988年
グリフィス報告は、コミュニティ・ケアの行動のための指針を示した。

1990年
イギリスのコミュニティケア改革の動向では、1.ケアマネジメントシステムを導入すること、2.地方自治体によるコミュニティ計画策定、3.サービス購入者とサービス提供者を分離すること、4.利用者などへの苦情処理システムの整備などがある。

1994年
ドイツで介護保険法が成立する。
posted by トモロウ at 22:26| Comment(0) | TrackBack(0) | 試験勉強
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